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パクリ論法の穴

 

 今の時代を席巻している言葉の一つに「パクリ」なるものがあります。
その意味は、かつて「パロディ」と呼ばれていたものと同じだと思って差し支えありません。しかし、「パロディ」がプラスとは言わずともマイナスの意味を持っていなかったのに対し、「パクリ」は否定的な文脈に伴われ、しばしば作品の作者を罵倒する常套句として登場します。「パクリ」がいつ登場した言葉なのかは知りませんが、現在では「パクリ」は「パロディ」を完全に駆逐しています。

 私はここで、作品におけるパクリの是非については論述するつもりはありません
「パクリ」かそうでないかは、作品の出来には何の関係もないと考えているので、レビューを記述する時も評価の参考にはしていないからです。

ここで私が取り上げるのは、「パクリ」と罵倒するその人の価値観および思考回路についてです。
なお、ここでは便宜上、パクリを根拠に作品を罵倒する事を「パクリ論法」、それを行う人のことを「パクリ論者」とします。

■パクリ論法の欠陥

 さて、このパクリ論法には、根本的な欠陥があります
そもそもパクリ論法の大前提は、パクリを指摘する根拠を、パクリ論者の知っている範囲の知識のみに依存するという構造になっています。パクリ論者がそれまでに見てきた作品の記憶と、ある作品とを突き合わせてみて、一致する部分をパクリとしているからです。パクリ論者は、大抵オタクと呼ばれる人です。オタクというのは、ごく狭い範囲にしか興味を示さないため、その範囲内の知識はいくらでも深まっていきますが、それ以外の分野については全く知識が増えません。なので、必然的にごく狭い範囲の知識しか持っていません。

 だから、ある作品において、パクリ論者の知識の範囲外にある作品からパクられたネタが作中にあったとしても、それに気付くことはなく、パクリを指摘できないのです

 つまり、パクリ論法を使うほど、それは作者の悪事の暴露というより、パクリ論者のオタク知識の羅列になるだけなのです。

■何故パクリ論法が流行しているか?

 では、何故このようなパクリ論法が流行しているのでしょう。それは、オタク知識さえあれば誰でも脳みそを全く使わずにできるお手軽論法だからです。この論法は実に単純な形をしています。「●●は△△のパクリ!」あとはこれに機械的に作品の名前を当てはめ、作者への悪口を書き殴ればいいだけです。たったこれだけで、容易に自分が評論家になったような気分にひたることができます。 パクリ論法は、即席評論家作成キットです。

■パクリ=悪?

 また、パクリ論者が普遍の真理のように抱いているのが「パクリ=作者は悪、作品は駄作」という価値観です。彼らはパクリを病的に嫌っています。 彼らの論理「作品にパクリがあれば作者は悪で、かつ作品は駄作である」を論理的にひっくり返してみると、「作者が悪でないか、作品が駄作でなければ、その作品にパクリはない」となります。凡人や善良な作者が作った凡作や傑作にはパクリは無いそうです。悪質な作者が作った凡作や傑作にもパクリは無いそうです。どだい大雑把でいい加減な根拠ですから、パクリ論法は作品を評価する手段にはなりません。

■パクリとオリジナルの境目

 ところで、彼らにとって「パクリ」と「オリジナル」とは一体何なのでしょうか? そして、その境目はどこにあるのでしょう?
「オリジナルは、パクリでないもの」らしいのですが、上述したように、パクリかそうでないかの線引きは元ネタを知ってるか否かによります。パクリ論者がオリジナルだと思い込んでいるものが、実際はパクリであるという可能性がどうして否定できましょう。要するに、「自分がパクリ元を知らないものがオリジナル」なのです。
翻って、「パクリはやめるべきだ」というパクリ論者の主張は、自分が知らないものを見せろという身勝手な要求以上のものではなく、彼らにとってのオリジナルとは、「僕の知らない何かにそっくりなもの」と何が違うというのでしょう。何も違いません。


 以上の事を観念論だと思われるのは嫌ですので、具体的な例をあげて説明します。

 テレビアニメ『明日のナージャ』第27話「空飛ぶケンノスケ!」。この回には、ナージャらが乗っている、大砲の砲弾の形をしたロケットが宇宙を飛び、それが「顔のある月」に突き刺さり、月が顔をしかめるというシーンがあります。

 これは、ジョルジュ・メリエスの映画『月世界旅行』のパクリです

 しかし『月世界旅行』を見た事があり、かつ『明日のナージャ』の第27話を見た事がある人の数は、皆無に等しい程度しかいません。何故なら、『月世界旅行』は百年前(1902年)につくられた僅か10分未満の映画であり、テレビで放映されることはまずありませんし、ビデオでレンタルする人もまずいません。よってアニメオタクはおろか、一般人にすら知名度が低いです。それを見た人たちと、『明日のナージャ』の該当部分を見た人の層(女児、女児の母親、アニメオタク、その他)を重ね合わせようとしても、ほとんど重なるはずがありません。

 Googleの検索で"明日のナージャ 月世界旅行"と入力してみると、実質ヒット件数(つまり、ナージャに月世界旅行のシーンが登場したことを記述しているページ)は私のサイトを除くとたった3件でした。第27話のサブタイトルの一部を用い、"ケンノスケ 月世界旅行"と検索しても実質2件でした。
また、ヤフーで同様に調べても、どちらもたったの4件でした。
さらにmsnで検索しても、4件でした。

 それから、『明日のナージャ 2ちゃんねる過去ログ倉庫』において、第27話放映日、当日以降の掲示板や、最近の掲示板を「月世界旅行」や「パクリ」で文字列検索しても、1箇所も該当しませんでした。念のためにアンチスレッドの当日以降の書き込みも同様に調べて見ましたが、やはり全くありませんでした。

 パクリを知っている人の絶対数が極端に少ないのですから、ナージャスタッフへの糾弾など起ころうはずもありません。10中8、9の人が知らないものをパクれば、それはパクリではないという歴然たる事実が判明してしまいました。

 結論。ナージャのパクリシーンを見た視聴者の9割以上は、これがパクリであることは解りません彼らにとっては、そのシーンは「オリジナル」なのです。そして、あらゆる分野において、こういった類の「パクリ」を「オリジナル」だと勘違いしてる程度の連中が、それぞれの作品において、ちょっとしたオタク知識があれば分かるレベルのパクリについて「これは何々のパクリだ!作者はパクリ元の作者に謝罪しろ!」と鬼の首を取ったかのように騒々しくわめき立てているのが現在の日本の状況です。
 例えば、大河ドラマ『武蔵』第1話における週刊誌のヒステリックな記事が典型的です。なお『武蔵』が『七人の侍』に対してしたことは、パクリですが著作権の侵害ではありません。旭日工房の639番目の書き込みにおいて作家・高千穂遙氏は、「ムサシ」は「七人の侍」のアイデアやシチュエーションを無断借用していますが、著作物の著作権は侵害していませんとおっしゃっています。「パクリ」と「著作権の侵害」の違いについては、説明が面倒くさいですし論旨からずれるので省略します。

 パクリ論法は「神様並の知識持ってりゃ別です」けど(この言い回しもパクリです)、人間ごときがするのは、なんら建設的ではありません。

 

 
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2004/9/1 作成:鳴石ると


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